HOME

多(太)十郎(たじゅうろう)/奧田多十郎
・説明: −1806年 没 宮城県東松島市室浜生まれ    遭難時23歳、帰国時35歳
儀兵衛(ぎへい)・儀平(ぎへい)
・説明: −1806年 没 宮城県東松島市室浜生まれ    遭難時32歳、帰国時44歳
津太夫(つだゆう)
・説明:1744−1814年 70歳没 塩竃市寒風沢 生まれ 遭難時49歳、帰国時61歳
 左平(さへい)
・説明:1830−1897年 67歳没 塩竃市寒風沢 生まれ 遭難時31歳、帰国時43歳 
 日本最初の世界周航者
・1793年11月 江戸に向かって若宮丸で石巻港を出帆 大しけでロシア領アリューシャン列島の
・1794年5月 オンデレッテ島に漂着
         儀兵衛らはここで島民の手厚い保護を受け、その後ロシアの役人に引き取られ
    シベリアを横断し、オホーツク、
・1796年12月 イルクーツクに到着 若宮丸の漂流民14名はイルクーツクで7年間暮らす
・1803年3月 イルクーツクを出発 クラスノヤルスク、トムスク、エカテリンブルク、ペルミ、
     カザン、モスクワを経由し当時の首都ペテルスブルクに到着
     帰国を希望した津太夫、儀兵衛、左平、太十郎の4名の帰国が許される。
     対日貿易を希望するロシアはその手段として漂流民の返還を計画
・1803年6月 津太夫、儀兵衛、左平、太十郎は軍艦ナジェータ号で首都の外港カナジダ港から西回
     りの大西洋、南米を迂回し、太平洋を横断
・1804年7月 ペテロパウロフスクに到着
・1804年8月 ペテロパウロフスク出発 
・1804年9月 12年ぶりに長崎に帰国 拘留
     ロシアの使節レザノフが貿易を要求した。幕府は漂流民は受け取ったものの使節は追い返した
・1805年3月 ロシアの使節レザノフが貿易を要求した。幕府は漂流民は受け取ったものの使節は追
     い返した。
・1805年   迎えに来た仙台藩士と共に長崎を出立し江戸へ向かう
         江戸に着く。学者大槻玄沢の取調べを受ける。
・1806年   生まれ故郷に帰る。

多(太)十郎(たじゅうろう)/奧田多十郎の墓/観音寺
・場所:宮城県東松島市宮戸字門前13 観音寺 Yahoo!地図
2005.8.27


2005.8.27


2005.8.27


平成15年 儀兵衛・多十郎の碑



義兵衛・多十郎記念碑
・場所:宮城県東松島市宮戸字室浜  Yahoo!地図











奥松島縄文村歴史資料館
・場所:宮城県東松島市宮戸字里81-18  Yahoo!地図
「ラシャの服」




石巻市禅昌寺の慰霊碑/若宮丸の供養碑
・場所:宮城県石巻市山下町1−4−8 Yahoo地図
・平成元年に発見された、寛文5年(1793)石巻港を出帆した若宮丸の海難供養碑です
 昌寺の石碑は人為的に折られ池のなかに埋められていました。船主の米沢平之丞が若宮丸が遭難したものと思い16名のために建立したところ12年後に帰還したため、これを倒し埋めたようです。
2009.5.24


 

 
・場所:宮城県

 
・場所:宮城県

 
 
・場所:宮城県